神話とオカルトと科学

先日、友人であり同僚であり後輩であるsf君と久々に話した。
氏がかねてから気にしていたという貝料理専門店で、将来のことやら国際世論のことやらうまい米焼酎のことやらとりとめもなく話した。


彼も僕も現在、ウェブ制作に関わっていて、お互いに(いわゆる)デザイン、技術、編集の3大要素のバランスを重視してとりくむ、多面的なアプローチを持ったタイプであるといえる。彼と話していて面白いのは、現在の立ち位置や考え方がかなり近いのにお互いの出自が真っ向から逆であること。

彼はいわゆるアートスクール出身で学生時代は映画街道まっしぐら、僕の方はサイエンス畑を転々としてきた。まあ、お互いに8年とか9年とか大学に在籍していたということが共通点ではある。

僕の方はPowers of Tenを見て要素還元主義的な考え方にとりつかれ、ようやく人間の認知の限界を実感し、現実に戻ってきたわけだが、彼にとって人間の認識という観点の興味はオカルトにあるという。彼は、x51.orgというサイトを立ち上げ、運営しているわけだが、この動機というのが彼にとって人の理解というものが「人はオカルトをどうとらえるのか」というものによっているというわけだ。

ここ数ヶ月、神話の理解と解釈過程に興味をもっていたせいで、このアイデアは大変すんなりと受け入れられた。言うなれば「人がオカルト的なものを生み出してしまうメカニズム」とでも言うべきか。脳神経科学の分野ではエラーからはたらきやしくみを理解することが行われているが、これの意識版と言える。

加えて、x51はコメントもかなり集まるサイトだが、オカルトそのものに加えて、それに反応する人々の意識、と言う観点からも面白い。

神話とオカルトはかなり近い。

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