開国というグローバリゼーション

近藤哲也氏と話をしていて導かれた仮説であるが、いまの世界の変容というのは、江戸から明治の開国の状況に例えると面白いかもしれない。

いまの世の中の変化はそのまっただ中にいる自分でさえも困惑することがあるほど大きいが、それは常にそれぞれの時代の人は自分の時代についてそう思ってきたはずであって、なにもいまに限ったことではないであろう。

むしろ、江戸時代と明治時代の変化のギャップの方が渦中にいる人にとっては大きかったかもしれず、江戸に生まれた人と明治に生まれた人がおなじ環境で暮らしていれば、お互いにギャップを感じていたはずだ。平成に生きる身からすると江戸時代と明治時代がつながっていることはめまいを感じるほど不思議な感覚である。

江戸時代と明治時代の大きな違いは鎖国しているか否かであって、開国とは日本にとって西洋という世界へ門戸を開くグローバリゼーションであった。そこで考えたことであるが、現在のインターネットは、経済としそうにおける開国なのではないだろうか?とすると日本にとっては明治維新以降の開国、アメリカにとってはひょっとしたら初めて体験する開国かもしれない。ヨーロッパにとってはあまりとりたてることではないような気がする。

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