ダークパターン時代に向けたデザイン

昨日はダークパターンレクチャー漬け(二連チャン)。そしてその両方が僕自身学び深かった。まずは、企業のデザイン部門向けのDPレクチャー。デザイン部門だけあり、この20年でのデザインと倫理の関係性の変化について感覚を共有できているので話しやすかった。で、Q&Aセッションでの新卒デザイナの方からの質問がよかった。自身の思考が資本主義社会に影響を受けているなかでダークパターンをどうとらえたらよいのか、製品を売ることが命題になっているメーカーに所属しているなかで、購買者へ製品をアピールする行為とどう付き合えばよいのか。

こういったある意味素朴な、でも本質的な問いだった。なにがダークパターンなのか、は相対的な部分があり、資本主義が成長を前提にしているシステムである以上、いま許されている活動もダークパターンになる可能性もあ、企業としてその問題にどう向き合っていくかの議論自体が必要となる。

また、企業は「売ること」が目的なのではなく、「社会に意味を提供していくこと」が目的なのであり、そこを見つめることが必要。という趣旨の返答をした。それ以上の議論はできなかったが、他のメンバーの方も、新卒の彼からそういった質問がでてきたことに驚きながらも喜んでいたようだった。

デザインと倫理を考えていくとき、企業のなかで「あたりまえ=あきらめが前提」になっていることをあえて無視してこういった問いを持つことこそが倫理のディスコースの本質であると思う。

そこからハシゴで、日本語版「ダークパターン」出版記念イベントで弁護士の水野祐さんと対談イベント。

事前にちゃんと打ち合わせることができなかったので、いくつかアジェンダをメールで交換しながらのぶっつけの対談。出版社の編集者が最初司会をしてくれていたが、そこから「ではお二人で」となり、どっから話したら?状態に。気を取り直し(頭をフル回転させ)、せっかくデザイン×倫理×法律を語れる水野さんを目の前にしているので、日頃疑問に思っていたDPと法律解釈の話をあれこれ質問。水野さんの現行法でもDP対応はできるが、DPを対象とした法律パッケージがあるほうが使いやすい、という説明はたいへん納得。

詳しくは書籍を参照していただきたいが、現行の日本の法律でもDPには対応できる。が、強いて言えば、「詐欺」に準じるような概念の犯罪行為がパッケージ化されるとよいだろうという見解(「詐欺」もさまざまな犯罪行為を含む包括的な概念であるとのことだった)。これは面白い論点であった。

でもそれより面白かった議論は、DPや、DPを生み出す行為であるデザインは、2020年代、行動経済学/選択アーキテクチャの研究をもとに、合理的ではない個人=限定合理性を前提としたデザインを行っている。それに対して、現状の法体制は合理的経済人が対象になっている、という視点からの検討。

つまり、デザインは選択肢が多すぎると決めきれない、とか人はデフォルトに流れがち、ということを利用しているのに対し、法律はすべての契約条項を読み、すべての判断材料を比較して判断をする個人が前提となっている。この「非対称性」は、法が個人を守ると考えたとき、圧倒的に個人に不利になる。この「契約書が読まれない問題」もっと言うと「契約書で書かれている内容は普通の人が処理できる情報量・質を超えている問題」は、デザインが解決すべき問題と言える。いや、言いたい。

この話は随所で度々出てきていたが、今回水野さんとの対談ではブレイクスルーがあった。それは、水野さんの解説パートでちょっと触れたCODEを著したローレンス・レッシグがヒントになった。水野さんはレッシグをアーキテクチャの文脈で紹介したが、レッシグといえばクリエイティブ・コモンズ。そしてCCといえば、概念に加えてその社会へのインターフェイスが特筆に値する。CCは、パブリックドメインとコピーライトコントロールの間にグラデーションを作ることで人類の創造の連鎖を人間に取り戻そうとした。

CCは、この途中のグラデーションを「人にわかりやすく」することを行った。具体的には、CCの各段階において、3つのレイヤーの表記を行った。最初は弁護士が読む法律上のコード(lawer-readable legal code)、2つ目は機械が読むことができるコード(machine-readable code)、そして3つ目は人が読むことができるコード(human-readble code)。この3つめのhuman-readableコードは、アイコン化され、(もちろんアイコンなので内容を知っている必要はあるが)ひと目でどのライセンスが選ばれ、その制作物はどういった使い方が可能か、を読み取ることができる。

契約や商取引、UIにおける操作などで、このhuman-readableな(業界共通の)コードを作ることはできないのか、あるいはそれはそもそもどういったものなのか。このことはデザイナーとして、特に情報や理解を扱うデザインを扱ってきたインフォメーションアーキテクトとしては、考えなければならない課題といえるのではないだろうか。要は、複雑な利用規約を「要はこういうことです」とサマライズして、利用者が判断できるようにする、ということとなる。

さらに、この「コード」は誰かに強いられるものではなく、使いたくなって、使った方がよさそう、と皆が思えるものでなければならない。そういったポジティブな方向のデザインは、ダークパターンの議論の中ではこれまで出てきていなかった。つまり、「やっちゃいけないこと」ではなく「DPを超えるため」のデザインといえる。ひさびさにダークパターンの話をしながらワクワクしていた。

もちろんそんなに簡単なことではなく、議論が雑なのは自覚しているが、デザインがやるべきこと、に新しい可能性を見いだすことができた、貴重な議論となった。水野さん、引き続きお付き合いください!

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