あけましておめでとうございます。
2018年もあけました。今年は、年初に連休がありましたが、なんとこの連休(正確には連休前か?)でインフルエンザに罹患するという失態。そして、連休を使って療養しておけばよいかという浅はかな判断が裏目に出て、インフルはイナビルで対処できたものの、インフルを長引かせてしまったことによって肺炎になってしまいました。おかげで、1月の半分は寝て過ごす(というか寝たきり)というスタートとなりました。
けっこうちゃんとした肺炎になったようで、起きているだけでからだが辛くなったり、いくらでも寝ていられたり、咳をすると自分の息なのに悪臭がしたりといろいろ経験をしました。前半でインフルエンザだったときには、比較的意識もしっかりしていて、「熱が上がっている段階(=寒気がする)」「熱が上がりきっている段階(=自覚はあまりなく、台風の目のような状態。しかし測ると39度とかある)」「熱が下がってきている段階(=暑い、汗をかく)」のそれぞれをちゃんと知覚することができて、それはそれで納得したりと比較的余裕があったのですが、後半コントロールが効かなくなり、毎日点滴を打ってもらいながら寝ている日々では体力および健康の重要性を実感することができました。ということで、今年は健康第一でいきたいと思っております。
さて、今年の抱負ですが、まずは余談からいくと、実は今年は僕が2013年に結成したバンド「leap youth theatre」の25周年にあたります(と、元メンバーの太朗くんからの年賀状で思い出しました)。これを機に、ぜひ今年は再始動を図ろうと思っております。とりあえず、ライブでやる曲の準備はできつつあるので、あとは元メンバーに声をかけて、対バン相手を探すのみでしょう。ミニアルバムを出したレーベル(KNOCKERS LABEL)が消滅してけっこう立つので、版権もよくわからなくなっている頃だと思うので、音源も公開せねば。
で、こちらは余談で、本題ですが、昨年AIの実践を自分でも試さねばと年初の抱負を語りながら、結局それは実現できませんでした。去年は、「デザイン」の社会的認知を上げるという願望のうち、行政にデザインを導入する活動を結果的に推進できたように思っています。これはこれで一つの成果であると思うのですが、今年はそろそろそういった社会的にというようなエクスキューズは外して、自分なりのデザインを確立していかねばならないと思っております。
大きなテーマとしては、今年一年を通じてデザインが内包すべき、あるいはデザイナが持っているべき哲学とはなんなのかを考えていこうと思っています。哲学といっても幅は広いですが、去年は九州大の古賀先生をはじめとして、デザインと哲学を考えている先生方に大きく刺激を受けました。改めてデザインと哲学を体型立てるということを考えてみようと思っています。
ちゃんと書評を書けていませんが、昨年「我々は人間なのか? are we human / ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー」という本を読み、なかなか心を揺さぶられました。
デザインとは何に向かっているので、どうしてわれわれはデザインをしてしまうのか、という、自分自身の欲求にも似た行動原理をもうちょっと考えていこうと思っています。
同様に、去年は「量子力学的デザイン観」という視点を考えてみました。これは端的に言えば、これまでのデザインを自分というものが対象に対して影響を与えないほど小さな存在と見なしていたと考えるもので、古典力学になぞらえて「古典力学的デザイン観」と呼びます。対象物のデザインもUXのデザインもそこにおいては天動説と地動説の違いとして理解します。それに対して、自分(デザイナ)の影響を対象をその場で変化させうるようなものとみなして、デザイナ自身もシステムの一員としてとらえるような視点を「量子力学的デザイン観」と名付けました。で、なんなのかというと、まだそこまで至っていないので、今年はこれをもうちょっと練っていきたいと思っています。
また、もう一つは教育というものについてちゃんと勉強をしてみたいと思っています。年末に改めて宮台真司氏のこのエッセイ「ワークショップを社会学的に論じる文章を書きました」を読み直しました。ここでは宮台さんの教育においてコンテンツは無意味という最近も述べられている主張にも共通する論が展開されていますが、改めて教育というものを考えてみたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。