歩留まりの経済

特に考えがまとまっていないので、純粋なメモ。

  • 世の中のサービス型経済への移行をテーマに、デザインがなにができるかを考え続けてはや4年(くらい?)、トライアルと思っていたプロジェクトも社会実装できるようになり、その実際が問われるようになってきた。
  • とくに大きなテーマとしてあるのは、作って売るビジネスの形態からサービス形態への移行で、これは企業にとってかなりの思考のモード更新が必要となる。
  • そんななかで、買い切りモデルのおいて当然とされてきていた一定量の無駄になる量というものをどのようにとらえたらよいかを最近考えている。
  • これを歩留まりと呼ぶのはちょっと違うと思うが、たとえば買ったけど使っていないもの(コレクションという意味ではなく、純粋に出番がなく死蔵されているもの)、一定量のロスはしょうがないもの、などなどのこと。
  • 具体的には、利用頻度が低い工具類(僕の場合半田ごてとか、ケーブルをむくケーブルストリッパーとか)なんかは、たまたま必要になったときに買ったりするが、次に必要になるタイミングが数年後になったり、そのときの利用状況が前回と違っていてそもそも自分で必要なもの一式を持っているか記憶が定かでなくなったりする。そういったものは実はいま100均でほとんど入手可能になっていたりするので、一回限りの利用では100均で買って捨てるという行為が合理的なのかも知れないが、それはそれで抵抗がある(が、多勢に無勢で、世の流れはそっちに向かっているからこんなに100均がこれだけ普及してるのだろうが)。
  • また、別の観点で、同じく工具だが、釘とかネジとか、たいてい10本とか50本とかそういう単位で売られていて、当然若干余らせる量を買うので、微妙な量が残ったりする(これもとっておくが、なにがどれだけ残っているかを把握できず、あまり使われることはない)。
  • ちょっとこれは違うが家で死蔵という腐らせているのは大量のUSBケーブル/イーサネットケーブルなどなど。これらは規格が変わって勝手に使えなくなるものも多いし、いろいろついてきたりするので、地味にたまっていく。かつ、経年劣化として加水分解されてべとべとになって文字通り「腐って」いく。
  • 使っていなくて、ものすごく大事にとってあるというわけでもない食器類なんかもそこにあたるか。
  • が、パーティ用とか年に一回のお正月用とか、そういった単に頻度が低いものは、少なくとも本人にとってみたら意識化にあるわけで、たんに頻度が低いものを死蔵とは呼びがたい気もする。
  • 商業スケールで言えば、最近話題にもなった、コンビニで破棄される食品とか、レストランの廃棄食料とか、もちろん作りすぎた工業製品とか。
  • カーシェアに代表されるような、所有から利用への移行は、上記のような「死蔵」を限りなく減らす効果が見込まれる。もちろん「理論的には」の但し書きがつくので、現実世界では一定のバッファの確保は必須となるが、少なくとも市民一人一人に持ってもらう必要は減るだろう。
  • 問題は、こういった死蔵を折り込んで成立していたビジネスというものが、この効果によってどの程度の影響を受けるのか、それは業界ごとにどのように異なるのか、それはパターン化できるものなのか、といった点。
  • この観点は、特にメーカー的な企業にとっては、耳の痛い話であるわけだが、受け入れなければならない事実でもあるので、どう対応するか(おそらく10年程度での対応を検討する必要があると思われる)についての方策をいまのうちから考えておくことが必要であろう。
  • そのための第一歩としては、まずは状況の想定であろうか。いわゆる将来の予想とか想定とか、そういったものをさまざまな視点から生み出し、議論することが求められよう。いかにそこを見通しているか、というのが実は組織にとっての「ビジョン」である。

 

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