ホームボタンの位置

IAI MLで、ちょっと気になるネタがあったので共有。

On Apr 26, 2007, at 2:58 PM, Eric Reiss wrote:

During usability testing the past few months, I’ve noted that fewer and fewer respondents understand the use of the logo as a shortcut back to the main page of a site. They don’t even use the first item in a breadcrumb trail if it isn’t specifically labeled “home.”

ざっくりと訳すと、

最近やったユーザビリティテストで、画面の左上のロゴを「HOMEボタン」として認識する人が減っている結果が出た。彼らは、パンくずの一番左側の項目も、明示的に「ホーム」と書いていないと使っていなかった。

てな感じ。

一般にサイトトップへのリンクは、

  1. (いわゆるタブ型の)グローバルナビの一番左側(+ロゴ)
    例:カネボウ化粧品
  2. ロゴのみ
    例:東京国際フォーラム
  3. タブ型ではないがヘッダエリアに「ホーム」リンク(+ロゴ)
    (コンセントでは「機能ナビ」と呼んでいるエリア)
    例:新潮社

のパターンがあるかと思うが、ここでいう2の効果が下がっているということ。日本でも同様の傾向など言えたりするのかな?

個人的には、「構造的には3が一番論理整合性はとれている気もしないでもないが、やっぱり1がわかりやすいのかな」、という状況依存で判断している状態。

別の話で、トップなのかホームなのか、もいろいろ諸説あったりするかと思いますが、それは別の機会で。

お手軽GPS

ソニーのGPS-CS1Kを購入。もともとデジカメにGPS情報を付加させるために、時間と位置情報をとり続けるガジェットだが、汎用のNMEAフォーマットでログが書き出されるので、様々な応用が考えられる。

ふつうに考えれば、自分の行動記録。あるいは、誰かにつけて行動監視、というのもある。猫とかにつける手もある。

まずはためにし、SightFieldというところのNMEA→地図マッピングサービスにデータを登録してみた。

昨日の行動の様子

これに写真を付与して、それぞれにコメントを加えれば、旅行記のできあがり。写真をタグかなんかで共有すれば、各自で撮った写真をアップするだけで、みんなのアルバムになる(これはいまもいっしょだが)。

まじめに考えると、なにか共通の属性を持ったある一定数の人々にこれを渡して、行動特性の傾向を探ったりすることはできそう。

ただし、これはウェブのログ分析でもいっしょだが、ただ生データをとり続けるだけでは、データだけが膨大になって、あまり意味がなくなってしまう。上記の行動の軌跡も、ちょっと見た目には面白いが、だれかの毎日の行動の軌跡を見せられてもすぐに飽きてしまう。
こういったところにも膨大な情報の中で、なにが重要で、どうやってみせるかという情報アーキテクチャニーズがあるのだろう。

Re: 物の質感とらえる仕組み、NTT研などが解明

記事を読むと、質感の違いが明暗の違いとしてあらわれることはわかるが、それを人間が「質感」としてどうしてとらえられるかがわからない。肝心なところは、「研究チームは、これらの反応の強さのバランスによって、質感を知覚できるとみている。」って、まだ仮説ってこと?

まあ、経験的に得ている物質の知識と、そういった明暗といったシンプルな視覚情報のあわせわざで「質感=クオリア」が体現されている、という仮説は組めると思うが、だとすると検証は原理的に難しいだろうな。

Yahoo!ニュース – 毎日新聞 – <脳>物の質感とらえる仕組み、NTT研などが解明
<脳>物の質感とらえる仕組み、NTT研などが解明

4月19日3時8分配信 毎日新聞

人間が物の質感をとらえる仕組みを、NTTコミュニケーション科学基礎研究所(神奈川県厚木市)と米マサチューセッツ工科大の共同研究チームが明らかにした。脳や網膜は、画像の中で明るい部分と暗い部分がどう分布しているかによって、表面の光沢や明るさ、透明感といった質感を感じているという。この発見を応用すれば、簡単な画像処理で、質感をリアルに表現したり、自在に操ることができるという。18日付の英科学誌ネイチャーで発表した。
同研究所の本吉勇・研究主任らは、物の表面に凹凸があり、明るさや光沢が異なるさまざまな画像で明暗の分布を調べた。すると、光沢が強く全体に暗い画像では、明暗の分布を示すグラフが明るい側に広がっていることが分かった。逆に分布の広がりが小さい場合には、光沢を感じにくくなる。網膜や脳内の視覚神経組織には、それぞれ明るい点や暗い点に反応する2種類の神経細胞(ニューロン)がある。研究チームは、これらの反応の強さのバランスによって、質感を知覚できるとみている。
本吉さんは「物の質感は複雑な光学現象から生じるが、人間が質感を感じ取る仕組みは、意外に簡単だと分かった。この仕組みを応用すれば、低コストかつ高速で画像や映像の質感を変えられるようになる」と話している。【須田桃子】

070415: 企画展「風俗画と肉筆浮世絵〜館蔵肉筆画の精華〜」

ふとたばこと塩の博物館の前を通りかかると面白そうな企画展が。ふらりと立ち寄る。

企画展「風俗画と肉筆浮世絵〜館蔵肉筆画の精華〜」

なぜここで浮世絵?と思ったら、風俗画って煙管ふかしてるから、たばこつながりということでした。納得。

しかし、内容はそんなついで感を吹き飛ばすほどよくできていた。特に、江戸風俗のリアルな姿が名もなき画家に赤裸々に描かれており、いろいろとためになりました。江戸風俗好きな人おすすめです。

太陽

太陽
太陽

ソクーロフ監督の太陽を見た。予告篇やら目にした文章で言っていたようなドラマティックな終戦時の描写や天皇の葛藤、というものはまったくわからなかった。ちょっとコミカルに淡々と終戦時の天皇を描いて、ストーリーや判断ではなく描写そのものが印象に残った。

ときたまどうみても天皇がイッセー尾形にしかみえなくなってしまうのが残念。

うまくいえないが、舞台を日本にした惑星ソラリスを見ているような気持ちになった。

070408: 生クリーム失敗メモ

週刊誌に「エスプレッソと砂糖を混ぜて泡立てた生クリームを冷凍させると簡易エスプレッソソルベになる」というお手軽レシピが出ていたので早速実践。

が、どこでどう間違えたのか、単なる「凍ったコーヒー味生クリーム」ができあがった。

やむを得ず、一人で生クリームを一パック分食すと、えらく気持ち悪くなった。急激に乳脂肪分を摂取すると具合わるくなるようだ。

Pixies – Live at the Paradise

仕事をしながらピクシーズの2004年再結成ライブ@ボストンのDVDを見る。と、ながら見の予定が、本腰を入れて見ることになった。

ライヴ・アット・ザ・パラダイス
Pixies – Live at the Paradise

フランク・ブラックは経年変化の違いがよくわからなかったが、キム姉はなんか老けたねえ。笑うとかわいいけど。

いくつかピクシーズの映像は持っているけどぜんぶブート紙一重だった。これは映像がHDカメラで撮影らしくえらくきれい。こんなきれいなピクシーズ映像はじめてみた(ある意味ほんとのライブよりきれい)。

肝心のライブの方は、レコーディングがしっかりしているせいか、音が混ざっていない。そのせいで、音圧の迫力でごまかすんじゃなくて、きちんと考えられているハーモニー(といってよいのかは謎だが)がきちんと再現されている。

こうして映像をみながら聞くと、轟音だとおもっていたピクシーズも、実は無茶な轟音ではなくて、太いベースラインとドラム、それに緩急あるギターの構成、のバランスだなということがよくわかる。いろいろと勉強になった一枚。

Re: 池田信夫 blog 日本のコンテンツ産業、衰退の真因

池田信夫 blog 日本のコンテンツ産業、衰退の真因

「顧客が要求仕様を書けないので、作っては直しを際限なく繰り返す」のも同じだ。

さらに「あるある」のように下請け・孫請けがからんでいると、社外のいろいろな人が口を出すので、だれに責任があるのかわからなくなる。結局は、孫請けの社員(首なしインタビューをしていた)がすべての責任を押しつけられるわけだ。

こういう非効率な制作システムは、製造業の「すり合わせ」型の工程をソフトウェアに持ち込んだためだと思う。工程のモジュール化ができていないため、しょっちゅう全スタッフ(Nスペの場合20人ぐらい)が集まらないと意思決定ができない。

根本的な原因も、松原氏の指摘するように現場が自立できていないことだ。実際に取材・制作する孫請けに内容の決定権がないので、「納豆がダイエットにきくという番組をつくれ」といわれれば「できません」とはいえない。

池田氏のこのエントリは、

インフラ独占によって供給のボトルネックが生じているとき、供給側が決定権や価格支配力をもつのは、経済学の常識である。プロダクションの悲惨な現状の背 景には、電波利権によるインフラ独占があるのだ。クリエイターが自立し、多様な番組の質的な競争が起こるために必要なのは、地上波局によるインフラ独占の 打破だ。私が「競争が必要だ」といったのは、この意味である。

と、締めている。ウェブデザインなどを含めたメディア業界全体がこの影響をうけるのかどうかは一概には言えないが、すくなくとも、

下請けプロダクションも、フリーディレクターの人材派遣業にすぎない。彼らは月単位で入れ替わるので、系統的な教育もできない。それでもテレビの仕事はおもしろいので、ただ働き同然の賃金で徹夜の連続になって、体をこわしてやめても、代わりはいくらでもいる。

という、買い手市場の原理が働いてしまっていることが原因の一つではあるだろう。