HCII09にて。
HCD-Netでオーガナイズドセッションを担当した「Persona and Scenario-based Design in Asia」にて、かねてから疑問だったらシナリオ法についての疑問が明確になった。
結論から言うと、シナリオ法とは「デザイン過程において、自然言語で記述するようなシナリオを用いること全般」を指す。
HCII09にて。
HCD-Netでオーガナイズドセッションを担当した「Persona and Scenario-based Design in Asia」にて、かねてから疑問だったらシナリオ法についての疑問が明確になった。
結論から言うと、シナリオ法とは「デザイン過程において、自然言語で記述するようなシナリオを用いること全般」を指す。
ペルソナ・シナリオ法という言葉がはやっている。
ペルソナ法とは簡単に言ってしまうと、デザインをするとき、一般的でない、具体的な利用者をイメージせよ、という方法。
先日もそういったセミナーを開催したが(すいませんQ&Aの結果はもうじきこの場でお答えします)、その際いつも、「ペルソナ法だとその人向けだけに特化されてしまうのではないか?」という趣旨の質問をいただく。
毎回「そういうものではなく、具体的に対象者を想定することで企画が具体的になる、ということを意図しているんです」という返事をしているのだが、たまたま読んでいた塩野七生さんの「男たちへ」にそのものずばりの解答が載っていた。
(略)ここには、創作活動のカギの一つが見事に言いつくされている。(略)その私でも書くときは、読者は頭になく、眼の前の担当編集者に向かって書く。彼を、でなければ彼女を、うならせてみたいという思いだけで書く。なぜなら、それが上手くいけば、その向こうにいる不特定多数の読者にも自然に通じる、と確信しているからである。(太字は傍点部)
男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
とまあ、そういうわけなんです。