投稿者「Atsushi」のアーカイブ

Atsushi について

Information Architect

ワークフローと行為

撮影は利用を前提にしているわけではないけれど、たとえばblogを書いていてビジュアルを入れようと思って撮影するときは目的がわかっている。そんなときは撮影→blogに取り入れる、が連続していてほしい。moblogはそのあたりが直結していて便利だ。でももともと撮影の行為自体は独立「しうる」。撮影と利用は本来独立しているはずだけど、利用されない撮影はまあ僕のとりっぱなしで現像してないフィルムくらいのもんで普通はあんまりない。利用はそもそもそざいがなければ成り立たないけど、そざいは利用されないと眠ったままだ。また例によってきりがない話になるけど。

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ポストイットフリーク

ペーパープロトタイピングの本の作者も言っていたが、僕はかなりのPost-It好きである。
3M社の株を買った方がよいと思う。

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現時点でのPost-Itの使い方をここに記す。

  • ノートのしおりとして(半透明フィルム型)
    メインに使っているハードカバーノートで、先々参照するであろうと思われるページにしおり代わりに。

  • 暫定的なメモ用に(正方形ノート型)
    そのノートに書き記すんだけど、あとで別なところに転記しそうだったりするときにノート型のものに書く。

  • プラニングしているときのアイデアとして(正方形ノート型)
    主にブレスト時に。一枚一アイデアでなるべく簡潔に書く。ペンは太めで、離れても読めるように。複数の人でやるときは、ペンの色を変える。

  • サイト設計時のページ配置(罫線つきノート型)
    ウェブサイトの設計時に、ページ単位になりそうなものをとりあえず書き記してみて、配置する。ハイレベルインフォメーションアーキテクチャと呼ばれるサイト概要はこれをベースに作られる。

  • ミーティングのホワイトボードとして(イーゼル型)
    A1くらいの大きさの特大ポストイットを壁にばんばん貼って、ミーティング時のホワイトボードに。プロジェクトコード、日付、連番を必ず記す。途中でも終わってからでもデジカメで撮影。300万画素程度のデジカメなら細かい字でも問題なく残せる。むしろスキャナつきホワイトボードより表現力は高い。

  • ロディアのNo.11ノート
    サブノート/To Doノートとして使っているロディアNo.11に「貼ってはがせるのり(通称なんでもポストイットのり)」を塗ってポストイットとして使う。

その他のノートとの併用については別エントリで。

「ファイル」の存在

デジカメで画像を撮影する。
使い道は、閲覧(満足、記録)、blogに貼り付ける、人に送る、etc…
識別子としてのファイル名はいるかもしれないけど、例えば紙焼きの写真では一枚一枚に固有名はない。デジカメで撮影後に利用のためにコンバートしたり、どこかに格納したり、はたまた自分のPictureフォルダに入れたり、とはなんと非生産的なことよ、と思った次第。
しかし、ネガフィルムにせよポジフィルムにせよ、管理がなっていない自分にとっては、残っているだけまだましか。

ワイヤレスマウス

現実のメタファーを利用していたつもりがいつのまにかメタファーの対象になっている。

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bluetoothのopticalマウスを使っている。

ふと気がつくとそこにはマウスをマウスたらしめた「しっぽ」がない。
もともと裏返したトラックボールであった名残のボールもない。
そこにあるのは白いおまんじゅうのような丸い物体だけ。

僕はマウスの幻影、比喩としてのマウスを使っていることに気付いた。
タイプライターの延長としてのダム端末由来のキーボード、コードのないマウス。
コマンドラインライクなテキストエディタ。

ことばの問題なのかもしれないけれど、
いま起こっていることも、ちょっと前に起こったことの積み重ねだということ。

紙のノートとペン

ノートとペンにしてから情報管理効率が向上したと思う。

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これまでオンライン/オフラインを含めて様々な「情報管理ツール」を使ったのだけど、灯台下暗しでした。思いついたことは仕事のこともいたずら書きもスケッチも全部一冊のノートに書いている。ひと月で240ページのノート一冊なのでだいたい一日8ページくらい。

紙ノートのいいところは、なんどもなんども同じネタを書いていること。自己熟成の過程を後で確認できる。

今後ノートが増えていったときが課題でしょうが、たぶん一時に考えられることはそんなにないので、ノートが正解な気がする。

人の想像力

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ボトムアップで作られるトップダウン的な現象、ということを研究していました。
口コミだけでどうやって流行が作られるか、というような話です。

なんでそんな研究をしたかというと、同時にいろいろなところで局所的な現象が起こって、その結果全体が変わる、という事自体を想像できなかったから。

研究をしてみてわかったことは、やっぱりわからないってことでした。
これは自分の能力の至らなさもあるとおもうけど、人間ってもの自体がそういう現象を「理解」するようにできていないんだろうと考えています。なので、次の課題は、どうやって(自分に)それをわかりやすく表現するかです。

単にPowers of Tenのビジュアルをアップしたいためのエントリでした。

blogと日本語教育

blogは日本語教育にいいと思う。

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日本ではちゃんとした作文の教育がなされていないために、大人でもまともな文章が書けないことが多い。いわゆるプレゼンテーションの場では、MS PowerPointなどを使ってそれっぽい箇条書きの項目を並べたりして、説明をするとなんとなくそれっぽいが、実は30分も話して何も言っていないことが多い。それというのもちゃんとした文章を構成して書くトレーニングをしていないからだ。

blogを書くときには、ある特定の小さなトピックで、しかもタイトルを付けて文章を書くことになる。
しかも単なる日記と違って「他人に見られる」ことを前提とする。なので、各文章も当然一つ一つがあることについて独立して成り立つようになっているはずだ。たぶんうまくかけていない文章を自分で後で見直してみると「うーん」と納得できると思う。

blog以前には実はそういう機会は日本人にはあまり与えられていなかったように思う。

あと、重要なトピックはタイトルをつける、ってこと。
これは実は詩を書くような、自分の言いたいことを一言でまとめて言う、って言うことなので、いわゆるコピーライティングのトレーニングにもなる。

というわけで、初等教育(成人教育?)にblogを導入すると日本人の表現能力が上がると思われる。

orkutとブラウジング

ソーシャルネットワークのorkutを使っている。
このネットワークは自分で好きに加入することはできなくて、誰かの紹介がなければ入会することはできない。そのため、全員友達の友達状態であると言える。まあこれ自体はいずれ普及していくとダミーのアカウント作ったり、よからぬことを考えたりする輩が現れたりするんだろうとは思うけど、現状のところはかなりクローズドなネットワークで、かつ相互評価システムはgoogleのPageRankを思い起こさせる。で、まあ、そのあたりは通り一遍の話なのでいいのですが、ここで記しておきたいのはこのorkutで懐かしい人とか思い出したりして、いいなあということです。これって人間関係のブラウジングになるなと思いました。

underconcept v3

新規サーバ設置に伴い、underconcept v3をスタートします。
1996年からの記事も移したいと思っています。
今年スタートするいくつかのプロジェクトのblogにしたいと思っています。