池田信夫氏の主宰するアゴラbetaで長年の疑問が腑に落ちた。
このように日本には、いまだに冷戦のころの図式が残っていて、政治・経済についての立場を次のように「バンドル」する傾向が強い。
政治 経済 社会 歴史
右派 改憲 小さな政府 法と秩序 国家主義
左派 護憲 大きな政府 表現の自由 平和主義
元々右翼左翼とはフランス議会で右側に保守派(国粋派)が陣取っていたから、に端を発するはずだが、当然ながらコンテキストが全然異なる今の日本において、だからといって上記のようなバンドルが有効かどうかは自明ではまったくない。
そして、こういうバンドルの無意味さは、おそらく自民党でももうそろそろ多数派に鳴ろうとしていると思うが(信じたい)が、おそらくそうはいかないのだろう。
このあたりの形骸化は、日本で自民党でも民主党でも、その党の方針ではなく(そもそも方針なんて実際はないわけだから)、その実装としての施策で判断をするしかなくなっている現状として現れてきている。
老害は時間と共に朽ちるのを待つしかないとして、日本という均質化した社会で(そうでもないのかな?)今後「政党」というものは意味を持つのだろうか?
はじめまして。じつは金曜日に例のパーティーでニアミスしていました 🙂
「右派・左派」「自民・民主」といった(賞味期限切れの)バンドルについては、「小さな政府・大きな政府」という経済政策軸での政界再編に期待しています。いわば「自由市場党」「平等福祉党」の二大政党、という青写真が示されたうえでの選挙になれば、「この大不況に、政府は何をすべきか」という民意を問う選挙になります。いま最重要のアジェンダです。この混沌とした政局において、こういう再編の可能性もありえると、ちょっと期待してます。
石橋さん、こんにちは、
特に、自民・民主といった対立は「なにか」と「そのアンチテーゼ」といったようにしか見えず、判断の材料がなにも思いつきません。まあ、そういった対立の構図がかならず必要なわけではなくて、たんにそれがあるとわかりやすい、というだけなのですが、とくにいらないのに(そのほうが幸せなのに)むりやり構図を作ってしまうあたりが滑稽です。