最近、会話が成立していないのに、だれも違和感を持っていない状況によく出くわす。
具体的には、誰かが話している内容があきらかに説明不足で、あるいは話が飛躍している状況で、だれもつっこまずそのままスルーしたり、あるいはそこに対して返事をして、それは客観的にはまたまた説明不足だったりしているのに、そこにも誰もつっこまない、という場面によく出くわす。
要するに第三者的に会話として成立していないように見受けられるのに、当人同士では会話として成立していると考えている状況によくでくわす。
そこで、つっこみをいれると、うーむ、とそこから考えはじめたりするので、単に気づいていないだけということが多いようだ。いずれにせよ、ビジネスの席上での会話でそれでいいのか?と心配になる。
実際大丈夫でないことが多く、後々その齟齬がもとでプロジェクトが破綻しがちなので、なるべく拾うようにはしているが、ちょっと拾っても拾いきれないと、なんとなく、その時間だけ過ぎてしまう。
たぶん、これは「会議っぽいこと」をやって、「会議を終わらせ」て、「なにか作業を」しているとものができあがる経験にしたがって動いているんだけど、情報伝達効率や物事の関係性の影響範囲が広がってしまったりでなかなかそれでは成立しない、ということなんだろうな、と思っている。
ということを考えていたら、日本語能力の低下という内容で、内田先生がblogで産経新聞の「大丈夫か日本語」 に触れている。
結果的に、これからどんどん日本人の知的活動が低下してゆくことになるわけだが、私はそれほど悲観的ではない。
携帯メールによる語彙の貧困化や母国語運用能力の低下は日本だけでなく、世界的な現象だからである。
「世界中みんなバカ」になるなら、日本人がバカになっても、それによって国益が大きく損なわれるということはないであろう。
それしか「頼みの綱」がない、という点が情ないが。
相対的な「国益」ということだと、大丈夫なのかもしれないが、生活を支えるインフラが、旧来の物理的インフラ=人知が及ばなくとも成立する、から、ネットや電気などの人工的インフラ=人が管理していないと止まったり崩れたりする、へと移ってきている世の中なので、これで世界がどう保たれるのだろうか、という観点から心配になる。
耳が痛い…というか読んでるから、目が痛い内容です
コミュニケーション能力は私の課題です…
がんばります…