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セミナーやカンファレンスがあった際に、参加者がその発表資料をアップして、共通のタグをつければいっちょあがり。
これで、これまでProceedingsと呼ばれていた、分厚い、辞書みたいな、そして、ぎりぎりまで編集している人の分が載っていない(そして、たいていそういった著者の話が面白い)冊子が必要なくなる。
かつ、発表者にとっては発表するデジタル資料をアップするだけですむので手間がかからないことこの上ない。
しかも、pdfとか、たぶんパワーポイントも、ドキュメント内もgoogle等にスキャンされるであろうから、資料の再利用性も飛躍的に高まる。
たぶん、セミナーとかカンファレンスの事後共有としては、これまででベストのソリューションではないかと思う。
これで、SlideShareにアップしなくとも、自分のblog等にアップしたものへのリンクもこの場で共有できるようになればもっと便利な気もするが、そうすると共通のメタデータをもてなくなるので、やはりこの場にアップする形がいいのかもしれない。
Academic paperの世界では、論文は「いかに引用されるか」でその価値を計る(計ってきた)。
いま、blogの世界では、この引用はtrack backという形で相互参照可能な形となった。
リアルな(というのも変な書き方だが)学術論文では、未だに「その論文がどの論文に引用されているか」は可視化されていない(たぶん、僕の知る限りでは)。
かつ、「参照元にあたる」という基本動作も、論文のメタデータたる「参考文献」欄を、実際の論文を開いてみるしかない。
たしかに玉石混合ではあるが、茂木さんの言うように現代の最高学府はすでにネットになっている。
問題はネットの中でなにを探すかだ。
2ちゃんねるやyoutubeを漁っていればいくらでも時間はつぶせるが、時間をつぶしていてもしょうがない。
もちろん、2ちゃんねるを有意義な情報源に使うことはできるが、これにはかなり高度なリテラシーを要する。
が、ここで言っているのはそういうことではなく、解決したい問題をどのように設定するか、という意味だ。
この問題設定と、投げる検索キーワード自体との妥当性で探索自体の意義と、かかる時間は大きく変わる。
こればかりはネットでは学ぶことはできない。
ネットは便利だし、情報もあふれているが、やはり10代くらいまでの若いウチは書籍という限定されたリソースに向き合うというのが最終的には得策であると思える。
どうしてそう思えるのか、ほんとにそうなのか、が現代教育の鍵になっているのではないかと考えている。