ダークパターン時代に向けたデザイン

昨日はダークパターンレクチャー漬け(二連チャン)。そしてその両方が僕自身学び深かった。まずは、企業のデザイン部門向けのDPレクチャー。デザイン部門だけあり、この20年でのデザインと倫理の関係性の変化について感覚を共有できているので話しやすかった。で、Q&Aセッションでの新卒デザイナの方からの質問がよかった。自身の思考が資本主義社会に影響を受けているなかでダークパターンをどうとらえたらよいのか、製品を売ることが命題になっているメーカーに所属しているなかで、購買者へ製品をアピールする行為とどう付き合えばよいのか。

こういったある意味素朴な、でも本質的な問いだった。なにがダークパターンなのか、は相対的な部分があり、資本主義が成長を前提にしているシステムである以上、いま許されている活動もダークパターンになる可能性もあ、企業としてその問題にどう向き合っていくかの議論自体が必要となる。

また、企業は「売ること」が目的なのではなく、「社会に意味を提供していくこと」が目的なのであり、そこを見つめることが必要。という趣旨の返答をした。それ以上の議論はできなかったが、他のメンバーの方も、新卒の彼からそういった質問がでてきたことに驚きながらも喜んでいたようだった。

デザインと倫理を考えていくとき、企業のなかで「あたりまえ=あきらめが前提」になっていることをあえて無視してこういった問いを持つことこそが倫理のディスコースの本質であると思う。

そこからハシゴで、日本語版「ダークパターン」出版記念イベントで弁護士の水野祐さんと対談イベント。

事前にちゃんと打ち合わせることができなかったので、いくつかアジェンダをメールで交換しながらのぶっつけの対談。出版社の編集者が最初司会をしてくれていたが、そこから「ではお二人で」となり、どっから話したら?状態に。気を取り直し(頭をフル回転させ)、せっかくデザイン×倫理×法律を語れる水野さんを目の前にしているので、日頃疑問に思っていたDPと法律解釈の話をあれこれ質問。水野さんの現行法でもDP対応はできるが、DPを対象とした法律パッケージがあるほうが使いやすい、という説明はたいへん納得。

詳しくは書籍を参照していただきたいが、現行の日本の法律でもDPには対応できる。が、強いて言えば、「詐欺」に準じるような概念の犯罪行為がパッケージ化されるとよいだろうという見解(「詐欺」もさまざまな犯罪行為を含む包括的な概念であるとのことだった)。これは面白い論点であった。

でもそれより面白かった議論は、DPや、DPを生み出す行為であるデザインは、2020年代、行動経済学/選択アーキテクチャの研究をもとに、合理的ではない個人=限定合理性を前提としたデザインを行っている。それに対して、現状の法体制は合理的経済人が対象になっている、という視点からの検討。

つまり、デザインは選択肢が多すぎると決めきれない、とか人はデフォルトに流れがち、ということを利用しているのに対し、法律はすべての契約条項を読み、すべての判断材料を比較して判断をする個人が前提となっている。この「非対称性」は、法が個人を守ると考えたとき、圧倒的に個人に不利になる。この「契約書が読まれない問題」もっと言うと「契約書で書かれている内容は普通の人が処理できる情報量・質を超えている問題」は、デザインが解決すべき問題と言える。いや、言いたい。

この話は随所で度々出てきていたが、今回水野さんとの対談ではブレイクスルーがあった。それは、水野さんの解説パートでちょっと触れたCODEを著したローレンス・レッシグがヒントになった。水野さんはレッシグをアーキテクチャの文脈で紹介したが、レッシグといえばクリエイティブ・コモンズ。そしてCCといえば、概念に加えてその社会へのインターフェイスが特筆に値する。CCは、パブリックドメインとコピーライトコントロールの間にグラデーションを作ることで人類の創造の連鎖を人間に取り戻そうとした。

CCは、この途中のグラデーションを「人にわかりやすく」することを行った。具体的には、CCの各段階において、3つのレイヤーの表記を行った。最初は弁護士が読む法律上のコード(lawer-readable legal code)、2つ目は機械が読むことができるコード(machine-readable code)、そして3つ目は人が読むことができるコード(human-readble code)。この3つめのhuman-readableコードは、アイコン化され、(もちろんアイコンなので内容を知っている必要はあるが)ひと目でどのライセンスが選ばれ、その制作物はどういった使い方が可能か、を読み取ることができる。

契約や商取引、UIにおける操作などで、このhuman-readableな(業界共通の)コードを作ることはできないのか、あるいはそれはそもそもどういったものなのか。このことはデザイナーとして、特に情報や理解を扱うデザインを扱ってきたインフォメーションアーキテクトとしては、考えなければならない課題といえるのではないだろうか。要は、複雑な利用規約を「要はこういうことです」とサマライズして、利用者が判断できるようにする、ということとなる。

さらに、この「コード」は誰かに強いられるものではなく、使いたくなって、使った方がよさそう、と皆が思えるものでなければならない。そういったポジティブな方向のデザインは、ダークパターンの議論の中ではこれまで出てきていなかった。つまり、「やっちゃいけないこと」ではなく「DPを超えるため」のデザインといえる。ひさびさにダークパターンの話をしながらワクワクしていた。

もちろんそんなに簡単なことではなく、議論が雑なのは自覚しているが、デザインがやるべきこと、に新しい可能性を見いだすことができた、貴重な議論となった。水野さん、引き続きお付き合いください!

IA Conference 2024

シアトルで開催される IA Conference 2024 #iac24 行ってきます。日本語は #iac24j でつぶやく予定。

1日目終了、今年のテーマは「IA in the Age of AI」ということで、初日のセッションはほぼAIとIAの議論。今年はシングルトラック(例年トリプルトラック)だったが、テーマとセッション内容からアリなプログラム構成だった。

今年は会場がSeattle Public Library、Rem KoolhaasとJoshua Prince-Ramusによる設計で、2004年竣工、かなりデザインは攻めている。2024年の今見ても斬新。そして2007年に訪問したときとかわらずまだ古びていなかったことに驚く。

会場は約300人入れるAuditorium。テーブルがないのと、なかなか移動しづらいのとで若干丸一日のカンファレンスには厳しい会場。会場もあってかことしの定員は300人弱。一時期の800人規模からするとだいぶ減っている。

初日セッションについてはまた追ってまとめるが、AIの学習データ設計においてIAの重要性があること、ユーザーの情報探索視点での観点:AIは能動的な検索活動と補完関係となる、といった視座でのセッションであったと思う。

ポスターセッションでは、THE NEW ERA OF IAというまさにいま僕が考えているテーマでの発表があった。これは日本からもコミットしたいところ。

ところで、いつの間にかWIADはWorld IA Association(WIAA)主催になっていた。IAI主催じゃなかったっけ?

オーラルセッションがテーマスペシフィックになっていた反面、ポスターセッションで幅広いトピックが扱われていた印象。この構成はカンファレンス設計としてありに感じた。

久々のUS所感:ゴミの分別難しい、レストランでも大人向けノンアルドリンク充実、コーヒーコーナーのミルクはアーモンドとオーツだけ、マスクは西海岸でも誰もしてない、(去年もだったけど)携帯のローミングはもはやシームレス。

古着大手のVintedによるサイズ表記問題。AIから離れたガチIAな話題。が、吊るしの服を買うという状況自体の限界に感じられてならない。衣料品にもFabでいうところのDIDOが必要なのではないか。「流行を着る」ではなく「自分に合ったものを長く着る」価値観にどうやったら移行できるのか。

IA and AI for Serendipity – Kit Oliyny
https://theiaconference.com/sessions/ia-and-ai-for-serendipity/
面白かった。別タイトルDesigning for Chaos、UXにおいてちょうどいいセレンディピティとはなにか、それを生み出すためにどうするかを論じる。この分野はこれからもっと議論されるだろう。

Three Fun Workshop Activities for IA Projects – Dan Brown
https://theiaconference.com/sessions/three-fun-workshop-activities-for-ia-projects/
IAワークの入り口になるワークショッププログラムと、それを実践するための原則。こういう形でちょっとずつIA教育も進めていくのがよさそう。

細かい久々のUS所感その2:クレジットカードはタッチでいけた、ApplePayは試してない。T-Mobile 5Gは実測で150Mbps出てた。シアトルはレストランでパスポート求められたことはなかった。シアトルの空港(SEA)はなんと事前にセキュリティ優先の予約ができる。

二日目終了。1日目に比べると非AIトピックが増えてた。スピーカーも冒頭に「これはAIネタじゃないよ!」とジョークで言ってみんなで盛り上がる感じ。シングルトラックということもあり、全体的に実用的な話が増えており、それ故、テックな話に寄ってしまっている印象もある。

音楽サブスク比較メモ_2020

最近10年ぶりに家のメインのアンプ(AVアンプ)を買い換えた。そしたらSpotifyネイティブ対応だったり、Amazon Music HD対応だったり、Dolby Atmos対応だったりといろいろバージョンアップできたのでこの段階でのメモ。全部書くと長くなるので、今回は主に音楽試聴の利用者体験観点。

ちなみに筆者の聴く音楽は主としてロック〜エレクトロニカな感じといえばよいかな。フェイバリットはUKシューゲイザー my bloody valentine。

導入前環境

リビングではAVアンプ(Marantz SR6015) – スピーカー(JBL 4428)に対して、AirMac ExpressというApple製WiFiルーターをAirPlay受信機として使用(ルーターとしては使わず)。有線LAN(1000Base-T直結)、光出力でAVアンプに接続。これに、MacやiPhoneからAirPlayで飛ばして音楽を鳴らしていた。

AirPlayとしてネットワーク転送される際にどっちみちある程度ダウンサンプリングされるので、ハイレゾの必然はそこまで感じず、むしろ利用端末の利便性で考えていた。その意味でiPhoneのMusicとSpotifyが利用頻度が高かった。たまにMac iTunesからの再生もやっていたが、Macをおいている部屋がリビングと別なので頻度は低い。

利便の観点でいうとSpotifyとApple Musicはどっこいどっこい。なんとなくSpotifyのほうがさくさく動く感はあるのとおすすめされるプレイリストが気が利いている感じがするのがメリットだが、プレイリスト(再生リスト)のどの曲がたまっているのか、が直感的にわからずいつも困る。

あと、個人的にSpotifyの致命的な点は、2020年現在なぜか配信をやめてしまっているmy bloody valentineの音源を聞けないこと。Appleのほうはかつてリッピングした音源があるのでそちらを聞ける。

Apple Musicはいいのだが、自分で買ったりリッピングした「ライブラリ」とサブスクの「Apple Music」との混在がやはり日常利用においては思ったよりまぎらわしくなる。

逆に仕事部屋は、Macに音楽制作用のMOTU M2(オーディオインターフェイス)、IK Mutimedia iLoud Micro Monitor(パワードモニター)を常設しているので、鳴らすとしたらそれに直接。もしくは気分に応じてヘッドフォン使い分け(リスニングではゼンハイザー HD25もしくはGRADO SR80)。

新AVアンプ導入後

新しいAVアンプを買ったらAirPlay 2、Spotify、Amazon Music HDに標準対応していた(それあるから買ったのもあるが)。

で、SpotifyはSpotify Connectという、コントローラーと再生機器とを別途で管理する概念があり、これが利用上はベストであることがわかった。

これでいったんの結論、以下は長い余談となる。

Spotify Connectとは、イメージ的にはAVアンプ内にSpotify再生専用端末が入っていて、それを手元のiPhoneなりMacなりからコントロールする、というもの。AVアンプを使わずともMacをiPhoneからコントロールしたり、逆にiPhoneの再生をMacからコントロールしたりもできるのだが、通常再生機器と操作機器はいっしょで問題ないのであまり使われないと思う(僕はあまり使っていなかった)。

これが今回のように再生機器が据え置きだと威力を発揮する。手元ではなれたインターフェイスで操作しつつ、再生は任意の機器でできる。なにより、据え置き機はこちらも有線LAN接続でSpotify最高音質は担保できているので、手元のiPhoneではデータのことは考えなくてもよいというのも正しい。

このあたりオブジェクト指向でアーキテクチャを考える意義としても使えそうである。

で、音質でいうと、話がややこしくなるが、Amazon Music HDがここで登場する。Spotify、Apple Musicはもともとモバイル再生を前提にしているのでロッシー音源(非可逆圧縮)音源で、その音質には限界がある。そこにロスレス音源であるApple Music HDという選択肢があらわれた。ロスレスは可逆圧縮なので音源データに損失がないということになる。かつ、音源によってCD(44.1kHz/16bit)より高音質なもの_も_ある。

いままではAirPlay(これは可逆圧縮なのだがCD音質にダウンサンプリングされる)を通していたので、そこまで気にしていなかったのだが、96kHz/24bit音源とかが再生できるとなるととたんに欲が出てしまう。

Amazon MusicはHDとUltra HDという音源があり、HDがCD相当、Ultra HDが「それ以上」。

ということで、急遽Amazon Music HDにも試しに契約してみて再生をためす。この接続においては、筆者がAmazonの各国のアカウントを持っていて使い分けていることもあって、当初アプリからUSのAmazon Musicにつながってしまい、なかなかアクティベートすらできなかったトラブルもあったがそれは置いておいて、なんとかいまは使えている。

で、マランツはDENONと同じHEOSという汎用音楽アプリAPIを持っていて、そこ経由でさまざまなサブスクなどとつなぐことができる(Sound Cloundにもつながる)のだが、逆にAmazon MusicにもこのHEOSからつないで再生することになる(Amazon MusicアプリからつなぐとUltra HD音源でもHD再生となってしまう)。

が、このHEOSアプリからの操作がまったくいけてない。表現が難しいが、ライブラリの概念がなく、個別のアルバム単位で再生を指示しなければならない、という感じか。LPを選んでターンテーブルに乗せる感覚に近い。LPだったら趣があっていいんだけどね(なのでMBVはLPで聴くことも多い←だったら冒頭のSpotify云々いらないじゃん)。

ちなみにここでまた余談だが、Spotify/Apple Musicがロッシーじゃんに気づかされたので、急遽アンプにはCDプレイヤーもつないでいる。2020年になってまさかのCD復活。1,000枚くらいのCDは倉庫か廃棄かと段ボールに移されていたのだが、500枚くらいは棚に戻りそう。

Amazon Musicにもどると、HEOSの使いにくいUIを乗り越えるとようやくUltra HD音源を聴くことができる。ちなにみ筆者の日常的なリスニング対象でUltra HD対応を発見したのは、クラムボン(96kHz/24bit)、Radiohead(96kHz/24bit)、長谷川白紙(44.1kHz/24bit)、NUMBER GIRL(48kHz/24bit)、やくしまるえつこ(24bit/96kHz)あたり。いや、正直Ultra HD縛りで聴きたいわけではまったくないのだが、それでもぽつぽつしかない、というのが正直なところ。

そして肝心の音質はどうか。ナンバガでサンプリングレートの違いを感じるのもなかなかたいへんだと思うので、透明度の高いRadioheadの後期や長谷川白紙で聴きくらべをしてみたところ正直残念ながらそこまでわからん・・・耳に自信を失う。

やけになってMDR-7506やMDR-EX800STとかモニターヘッドフォンを引っ張り出してきてもいまいちピンとこない。

最終的に、ネットの記事で違いが明白ってのを見つけてふだんはあまり聴かないノラ・ジョーンズ/Sunriseって曲をためてしてみたところ、ようやくメインスピーカーにて違いを感じられた。ロッシー音源と比べるたとき、HD音源はボーカルの定位が気持ち悪いくらい際立つ。立体感が出る感じ。しかし、同じ音源をiLoudのほうや、ヘッドフォンで試してもそこまでわからん(もともとモニターヘッドフォンは立体感には乏しいと言われるが)。これはひょっとしたらメインに使っているスピーカーJBL 4428のホーン型ツイーター(要はラッパみたいなものん)によって定位感がよりシビアになっていてそれでようやく違いを顕著に感じられたということかもしれない。

そして、個人的に音楽は聴くのも好きだが自分で作る側でもあるのだが、ざらついてる音源も好みだし、クリアな音も好みだし、なんなら別バージョンとして聴けてしまう。つまり違いがあったとしてもそれがそのまま善し悪しには考えていないということなのだろう。のっぺり/立体については、そもそもクリアなライブ音源というより、自分のとってきた音をあれこれ定位もいじりながら作っていくので、ライブ感あふれる、という感覚をそういえば忘れていた。

いずれにせよ、違いがわかったので一安心ではある。

Service Design Global Conference 2018 #sdgc18

SDGC18 at Dublin

今年もService Design Network(SDN)が主催する、サービスデザインに関する国際会議Service Design Global Conference(SDGC)が開催された。今年は去年のスペインマドリードに続いて引き続き欧州にてアイルランドのダブリンという渋いチョイス。

この選定にはサービスデザインの自治体への導入において有名なアイルランド第二の都市コーク市が影響している。今回の筆頭スポンサーにもこのコーク州(Cork Conty)とコーク市でのサービスデザイン組織Service rePublicが名を連ねている。

コーク市はダブリン(人口120万人)に対して人口12万人と規模は1/10であるが、Service rePublicの設立や、ロンドンに拠点をかまえるデザインエージェンシーSnookによるプロジェクトなど、サービスデザインの実践に積極的な自治体として知られている。今回も、この Service rePublic設置の流れや、コーク州側の受け入れ態勢などをライトニングトークやパネルディスカッションを通じて知ることができた。興味深かったのは、現実としては市のスタッフは最初から乗り気ではなく、そういったなかでプロジェクトの推進に巻き込む人々を探しながら進めていったという経緯の部分であったが、今後のコンセントやムサビ Institute of Innovationなどでのプロジェクト推進の際の参考になった。

また、ダブリン自体もFacebook、Googleなどの北米企業の欧州中東HQが置かれている都市でもある。SDGCでもやはりダブリンに拠点を置くFacebookのデザインラボであるTTC Lab(Trust Transparency Control Lab)からのプレゼンテーションも行われていた。ダブリンのこの状況はアイルランドの税制によるところが大きいものであるので、Brexitによって今後どうなるかは興味深い。

個人的にはアイルランド、そしてダブリンといえばやはりギネスとパブ飯、そしてジェームス・ジョイス、ということでしっかり本場のシェパーズパイ(これがギネスに合うのです)を堪能し、ミーハーにユリシーズに登場するパブ Davy Byrnesでマスタード入りゴルゴンゾーラサンドイッチをいただいてきました。

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UX STRAT USA 2018参加

UX STRAT USA 2018 | Day 1

さて、日本は3連休開け、実はコンセントは有給取得推奨日で4連休目の火曜ですが、日曜から北米東海岸のプロヴィデンスにUX STRAT参加のために訪れています。UX STRATは発足当初から参加していましたが、ここ数年会社のメンバーに行ってもらったりしていて僕は久々の参加です。プロジェクトのインサイトを得るために来ていますが、やはりこういったケーススタディが充実しているカンファレンスは、実際のプロジェクトの息遣いや間合いがわかって面白いですね。話してるケースの内容よりも、話し方や重視するポイントのバランスが参考になります。

初日は、MIT Design LabのYihyun Limによるキーノートに始まり、Instagramライブストリーム開発、Targetのユーザー向けアプリの統合など、既存ブランドの価値を残しながら新しい機能をいかに生み出すかという視点でのケーススタディが展開されました。話法的なところでいうと、既存機能の改修の話をするなかで、既存ユーザーを大事にする、言いながらもいわゆる「既存分ランドを大事にして」というような「ブランドを守る」的な話はなく、強いて言えば既存ユーザーの利便を失わないようにする、ということにケアするというスタンスが印象的でした。これは前提として、既存ブランドというものはもともと定義されたバリュープロポジションに基づいているものであって、そこからブレていなければブランド戦略的には問題ない、という価値観が前提としてあることが大きな理由であると思います。このあたり、バリュープロポジションが定義されていないゆえに表面的に前例踏襲を余儀なくされることが多い日本とブランドの考え方が根本的に異なっていることを感じました。そんな話はこちらでは前提すぎて言及はされないわけですが。

また、先々週(!)に参加したIntersectionでは自律的な組織への言及が多かったわけですが、今回のUX STRATでは、ペルソナがわりにJobs to be Done(JTBD)を用いるという話が圧倒的に多かったのが印象的でした。これはメインのトピックによらずに事例のなかでのリサーチメソッドでよくみられていたのでUSでのUXリサーチのなかでの流行なのかもしれません。たしかにビジネス側の人とのコミュニケーションにはこちらのほうが通じやすいかもしれないです。

午後のセッションでは若干ゆるい話が続きましたが、UX STRATの名物スピーカーRonnie Battistaによる、ティモシーリアリーの言葉をもじった「Turn off, Tune out, Dro in」というセッションはなかなか示唆深かったです。今回のセッションでも何人かが言及していたMIT Media LabのCalm Technologyにも通じる話ですが、テクノロジーの呪縛や今生まれているSNSによる精神的ストレスを、自身の経験に注目することで解き放つというストーリーで、大きなUX Strategyを考える上での視座を得ることが出来る象徴的な話でした。

UX STRAT USA 2018 | DAY 2

昨日に引き続きUX戦略の国際会議、UX STRAT2日目の所感です。昨日もInstagramの実プロダクトの開発の話が聞けましたが、本日もGoogleの社内でのUX評価のしくみのプレゼンテーションや、Google、Facebook、AmazonのUXマネージャーによるパネルなど、かなりいまもっともUXに力を入れている企業たちの生の話が聞けるのがこのカンファレンスの特徴です。

さて、今回のUX STRATはテーマが3つにわかれていて、以下のようになっています。

  • Transformation Outward (外への変革)
  • Transformation Inward (中への変革)
  • Transformation Forward (未来への変革)

初日の昨日は、Outward、つまり実際のプロダクトやサービスの変革が扱われ、本日はInward、つまり組織の変革とForward、新しい技術についての話となります。組織の話としては、冒頭にGoogleにおけるUXの企業内部へのインパクトの示し方、というテーマでYouTubeのUXリサーチマネージャーのCatalina Naranjo-Bockによるプレゼンテーションがもたれました。ここでは、社内でUXのインパクトを示すためにどういった活動を可視化すべきか、アピールすべきタイミングはどういったものかといったものを次々と紹介していきました。かなーり地道な活動ではありますが、それを構造化したシートを作り部内で徹底することできちんと評価が得られるようになるという意味で多くの組織で取り入れるべき活動であるといえます。そして、保険大手のNationawide社の全社を顧客志向にするリブランディング活動の事例紹介に続いて、Amazon、Facebook、GoogleのそれぞれUXマネージャーによるパネルディスカッションが行われました。ここでは各社のアプローチのトレンドやコミュニケーション上の課題などが紹介されました。話は逐次的にどんどん進んでいったのでいろいろなトピックが入り乱れましたが、面白かったトピックとしては各社ともリサーチ素材としてのビデオ利用が一般的であること、先日参加した別のカンファレンスであるIntersection18でも話題によく出ていた分散型の組織形態を目指していること、そして調査結果が広く社内で活用されるようになってきている現状を踏まえ、調査および結果の透明性の担保に努めているというあたりは参考になりました。

午後のセッションではIBMから連続して2セッション、AIとデザインの話がなされましたが、IBMということでWatson利用が前提になることもあり、具体的にUXをどのようにAIで変えていくかというものより、AIテクノロジーをとりいれるための組織のありかた、デザインにAIを取り込む際の倫理(Ethics)の視点が提示されました。特にAIを取り入れた際の倫理の課題は自動化によってこれまでよりさまざまな最適化やカスタマいぜーションが_効きすぎてしまう_ことが起こりうる状況であり、日本でも独自にも視点を持つ必要があります。

そして最期のセッションではインテルのDr. Faith McCrearyによるFraming the Future (未来をかたち作る)と題されたセッションが行われました。そこでは、未来の構築のために必要な論点として、Holistic Framing、Collaborative + Participartly、 North Stars、Accesible、Digital Intensityという視点が提示されました。このなかで、技術の発達進化によって、Human + Interfaceの時代にはUIが重要となり、プロダクトとサービスが統合された時代にはEnd to Endの体験が重視され、そしてこれからSystems of Systemsの時代ではExperience Transformationが求められるというビジョンが提示されました。これは僕の量子力学的デザイン観とも通じる視点であり、個人的にも深めていきたい論点です。

ということで、2日にわたってUX STRATに参加してきましたが、発足当初に比べてプログラムコミッティーも設立され、なによりプログラムもかなり練られたものになっている印象を受けました。特にGAFA(Appleはいないけど)の中のUX戦略の話を直接聞けるのはいいですね。大規模な商業的カンファレンスとは異なったコンパクトなものではありますが、UX戦略の今をキャッチアップするためには日本から参加する意義はあると感じます。

UXデザインにおけるメタデザイン

先日、HCD-Netサロンにて、著書「人工知能のための哲学塾」などでも知られる三宅陽一郎氏の講演を伺った。大変刺激的な講演で、ここで全てを紹介することはできないが、話の中で氏が実際に手がけているゲームのなかでのAIでは、エージェントAI、メタAI、ナビゲーションAIという3種類のAIによる構造が用いられているという。

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2018年開始

あけましておめでとうございます。

2018年もあけました。今年は、年初に連休がありましたが、なんとこの連休(正確には連休前か?)でインフルエンザに罹患するという失態。そして、連休を使って療養しておけばよいかという浅はかな判断が裏目に出て、インフルはイナビルで対処できたものの、インフルを長引かせてしまったことによって肺炎になってしまいました。おかげで、1月の半分は寝て過ごす(というか寝たきり)というスタートとなりました。

けっこうちゃんとした肺炎になったようで、起きているだけでからだが辛くなったり、いくらでも寝ていられたり、咳をすると自分の息なのに悪臭がしたりといろいろ経験をしました。前半でインフルエンザだったときには、比較的意識もしっかりしていて、「熱が上がっている段階(=寒気がする)」「熱が上がりきっている段階(=自覚はあまりなく、台風の目のような状態。しかし測ると39度とかある)」「熱が下がってきている段階(=暑い、汗をかく)」のそれぞれをちゃんと知覚することができて、それはそれで納得したりと比較的余裕があったのですが、後半コントロールが効かなくなり、毎日点滴を打ってもらいながら寝ている日々では体力および健康の重要性を実感することができました。ということで、今年は健康第一でいきたいと思っております。

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デザイン教育の品質保証シンポジウム

2017年10月21日に開催された、「デザイン教育の品質保証シンポジウム」に参加した。以下所感:

  • 九州芸工大(現九大芸術工学部)の設立の理念は「技術の人間化」、「芸術・アートの工学化」の方向性ではないのだな、と漠然と感じた。
  • 中国でのデザイン教育は、工業デザインを通り越してサービスデザインが重点課題化されていた(サービスデザイン教育は7大学で26コースが開講されており、35名の教員がいるとのこと)。電話線を引かなかったので携帯が普及したようなものか。
  • シンポジウムは、日本、中国、韓国、台湾、シンガポールなどからのデザイン教育の実践者の観点が共有された。正直「デザイン教育の品質保証」ではなかったが、「問題意識とそれを受けたデザイン教育の方向性」のバリエーションを知ることができたのは収穫だった。
  • ものづくり能力としてのデザインと、問題解決能力としてのデザインという言葉は使い分けられたり、混在していたり、整理されたりと扱いはさまざまだったが、その扱い方から逆にデザイン観が読み取れるのがよかった。
  • 大連理工大の張先生の国際的なワークショップと単一国で閉じたワークショップの比較は面白かった。全体的にワークショップ型の教育はデザイン教育の標準になっていることを感じたが、ワークショップの品質についての議論がなかったのは残念。
  • K2でもご一緒させていただいた九州大芸術工学部の古賀先生(哲学)から、議論において歴史に学ぶ視点がないという指摘があった。古賀先生からは、夏のK2ワークショップでも大変貴重な指摘をいただいた。デザインの議論において、特にこれからは哲学者の視点は超重要。かならず取り込まねばならない。

IA Summit 2017 is over

毎年春に開催されている、インフォメーションアーキテクチャ(IA)に関しての国際会議「Information Achitecture Summit 2017」、通称IAS17が3/24-27(事前ワークショップは3/22, 23)に開催された。日本では年度末の大忙しな時期ではあったが、今年も強行軍で参加。結論としては、IAを中心としてデザインのあり方の、新しい視点と混乱とのリアリティを体験することができたたいへんよい機会であった。

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